一般部門

「私たちの絆~コロナ時代の今、あなたに教えてもらったこと~」 浅見 嶺太朗

私が住んでいる町には発達障害を抱えた子供、いわゆる障害児とその家族が暮らしています。彼らは至って普通の幸せな家庭で他の幸せの家庭となんら変わらず暮らしています。

しかし彼ら家族を見る周りの目は違います。自らの価値観で判断し一方的に不幸な家族だと決めつけ、腫れ物のように扱います。彼らは普通の生活をおくりたいと望んでいるのに周りがそうはさせてくれません。

いつしかその家族を見ないようになりました。あとから聞いた話では障害児専用の保育園がある町へ引っ越したとのことでした。彼らはこの町では受け入れられず肩身の狭い思いをしていました。だから障害児についてもっと理解がある町に移動したのかもしれません。引っ越したからといってもその町で受け入れられるとは限りません。彼らはそのために移動を強いられるかもしれません。

彼ら家族が本当の意味で幸せに暮らすためには周りの理解が必要になります。果たして今の日本で障害児に対する理解を持つ人がどのぐらいいるのでしょうか。このことをきっかけにして私は障害児とその家族に興味を持つようになりました。

私は障害を持つ人と共生できる社会について考えました。そうした時に、今の社会に足りないことは障害者に対する扱いの理解だと思いました。

ある新聞で障害者に関する記事を見つけました。デザイナーが障害者デザインの商品を作るなど社会が障害者をサポートするようになりつつあるという内容のものです。障害者に対する支援体制の確立は障害者との共存社会にとってとても大切なことです。しかし障害者専用という言葉が現れることで障害者と一般人の線引きをしてしまい、また差別が生まれるという状況に陥ってしまいます。
そのため障害者に対してどこまでの支援を行うかをそれぞれが考えるとともに、いきすぎた支援は支援される側の障害者自身を追い込んでしまうということを考えないといけないと思います。

自分は何が出来るのかを考えていく上で、例えば障害者に対して何をしてあげられるのかと考えるのではなく、どうすれば私たちや障害者の人を含む全ての人が住みやすい・生きやすい暮らしをつくれるのかと考えた方が本当の意味での多文化共生社会を作れるのではないかと思います。補助ではなく共生する社会。そんな社会をつくることができれば差別で苦しむ人は救われると思います。

アンリーシュを応援する

アンリーシュの活動はみなさまに支えられています。

いろいろな方法でアンリーシュを応援することができますので、あなたらしい応援のカタチを見つけて下さい。

アンリーシュを応援する方法はこちら

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です