当事者部門

「私たちの絆」 春蘭

(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています

超えられない、「壁」があった。

いや、実際は「壁」ではなく、「段差」だ。

5センチもないだろう、家の前にある、小さな「段差」だ。普段、通るのに何の問題もなかったこの「段差」が、人工呼吸器と酸素ボンベ、吸引機等の医療機器を乗せた、ベビーカーだと、一人の力ではなかなか持ち上げることができなくて、通れないのだ。
そのベビーカーに乗っている主が、医療的ケア児である、息子だ。

私は今まで、平凡なつまらない人生を送っていた。目標を持って実行するなど苦手な人間だった。それが、結婚、出産を経て変わっていった。
 生まれる前から心臓に疾患があり、ダウン症候群を持って生まれた息子は、複数の合併症があり、2歳直前まで入院していた。
3歳になる現在までにした手術の回数は7回。
現在は、気管切開をして、人工呼吸器を着けて、おまけに経管栄養である。

気管切開をした時、初めて「医療的ケア児」という言葉を目にした。
その言葉にショックを受けた。
当時は、自宅で医療ケアをしなければならない=不幸 と決めつけてしまっていた。
しかし、やっていくうちに、まったく苦ではないことが分かった。ただ、誰かの助けが必要となることは、確かだ。

医療ケアは、息子が生きていくには必要なことで、当たり前のことだ。
しかし、「特別なこと」である。「当たり前」のことなのに、「特別」になってしまう。
担当の先生、訪問医や訪問看護師、ヘルパーの方々。皆さんの力によって、息子は「当たり前」のことができている。
ただ、世の中は必ずしも、誰でも欲しいサービスを受けられる訳ではない。

医療ケアがあることは不幸なことではない。不幸か幸福だとか言うのは、こころの問題だ。
先ほども、苦しい介護の末、殺害をしてしまったという悲しいニュースが流れていた。昔だったら、自分には関係ないと流していたかもしれない。医療ケアがある方も、介護をする方も、孤立していればこころも病んでしまう。
今のご時世も引き金となっているのかもしれない。

息子は一年前退院して、これから療育も親の会も、色々なところに行ける!と
思った先のコロナ渦である。

初めて乗った電車ではきょろきょろ、驚いたように流れる景色を見ていたね。色々な体験、させてあげたい、でも、感染も心配だ。
だから、受診にも福祉タクシーを使う。

福祉タクシーでいつものように帰宅する。パパは料金を支払っている。
雨が降りそう、急がなきゃ。私は一人で、ベビーカーを押した。

いつもの段差を、今度こそ、一人で、いや息子と乗り越えて見せる。

そしてー…

福祉タクシーの運転手さんが、そっと手伝ってくれた。
また、助けてもらっちゃった。

そう、いつも誰かが手を差し伸べてくれるのだ。
最初は、迷惑をかけていると思っていたが、迷惑をかけてもいいんだと思える社会が、あったらもっといいのではと思う。

しばらくして、家の周りを散歩した。また、いつもの段差を通ろうとした。
看護師やヘルパーさんが頑張れと応援してくれた!

そして…

通れた!

初めての「壁」は超えることができた。
たいしたことない、小さな「壁」だった。

後から考えてみた。
もう少し簡単に超えることができるのではないだろうか?
別の方法を思いついた。すると、意外に簡単に通れるようになった。今度はこの方法で通ってみよう。
何通りの方法があっていい、遠回りしてもいい。合った方法を見つけていく。
これは当たり前のことだと思う。
いつもそんな当たり前のことを気付かせてくれる息子に、今日も感謝したい。

息子が、そして夫が居なかったら、今でも私はつまらない人生を送っていたかもしれない。

これからも、たくさんの方の手を借りることになるだろう。それを引け目に感じないような社会であって欲しい。誰でも関係なく、絆が感じられる世の中にー…

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