当事者部門

「おふくろへ」 こまつざきくん

筋ジストロフィーの僕の話を聞いて下さい。僕は三歳のときに筋ジストロフィーと診断され、小学校三年生のとき車椅子生活になりました。以後、椅子の上に座位を保つ時間もだんだん短くなり、いまはほとんど寝たきりの状態です。寝たきりの僕の行く末はもうわかっています。内臓の筋肉にまで萎縮が及べば心不全や呼吸不全になるでしょうし、親より先に死ぬことは確実です。

皆さんは僕のつらさがわかりますか。食事も風呂もトイレも一人では何もできません。だって筋肉がどんどん固まっていくのですから。仲良しだった同級生が社会人になり、家庭を持ち、親になる。この切なさとやるせなさがわかりますか。将来の夢を語ることの難しさと儚さ。その無念がどれだけわかりますか。

だけど実はこの二十年間、僕と一緒に闘ってきた人がいます。それがお袋です。道で倒れても、車椅子になっても、寝たきりになっても、いつも僕にはお袋がいました。僕の前では決して弱音を吐かず、外でうしろ指を指されれば「何ジロジロ見てんじゃあ」と威嚇するほどです。

ひとつだけ忘れられないエピソードがあります。あれは高校のときでした。普通高校に進学できたものの、僕は不自由さからイライラを募らせていました。もちろん友達なんて一人もできません。トイレも移動教室も何もかもお袋が一緒ですから。僕は次第にそんなお袋のことが疎ましく思えてきました。

あるとき「なんでこんな身体に生んだんだよ」と僕は怒りをぶつけました。するとお袋はその場でわんわん泣き出したのです。大粒の涙を流しながら「ごめん」と「悪かった」をくり返しました。そのときわかったのです。きっとお袋の方が僕の何倍も、何百倍も、つらかったんだろうなって。

考えてみれば僕にはできないことが沢山あります。だけど不幸ではありません。駅まで歩けなければおぶってくれる人がいます。背中がかゆければかいてくれる人がいます。愚痴を吐きたければ聴いてくれる人がいます。涙を拭いてくれる人もいます。一緒に笑ってくれる人もいます。

だけどお袋には誰がいるでしょう。僕が筋ジストロフィーとわかったとき、お袋は親戚から絶縁されました。世間体が悪いというのが理由だそうです。本当は頼りたかっただろうし、わかって欲しかったのだと思います。だけど冷たい視線が、温かい支援に変わることはなかった。結局僕が二十歳になるまでお袋は誰にも頼らずにひとりで介護を担いました。雨の日も、肩を抱いて泣いた日も。

そんなお袋を前にいま僕は何もしてあげられません。この病気は二十歳前後で亡くなるケースが多く、僕もまもなくこの世を去るでしょう。そんな僕が生きる意味を最近よく考えます。働くこともなく、社会貢献することもなく、誰かの手を借りる人生に何の意味があるのかと。

もしも人間の生きる価値が社会に役立つことで決まるなら僕には生きる価値も権利もないでしょう。それでもお袋は言うのです。「お前がいて良かった」と。それを聞いて僕は生きる資格を与えられたような気がしたのです。

実はこの文面も僕がいま喋っているのをお袋が必死に書き取っています。手元は震え、顔も鼻水や涙でぐちゃぐちゃです。本当は肩をもんであげたかったし、背中を流してやりたかった。だけどこの二十年間、お袋は風呂に浸かる余裕もなければ、温泉に行く暇もなかった。だからこそ思う。もう自分に残された時間が少ない今だからこそ、強く。

なあ、お袋。
僕が死んだら、いっぱい泣いてもいいぞ。だけどその分、いっぱい笑って欲しい。こんなに僕に尽くしてくれたお袋だもの。もう泣くのは終わりにして、これからは楽しい人生を過ごして欲しい。

やっぱり、風呂かな。
「おふくろ」の「く」を取る風呂だから、きっとお袋も笑顔になれるはず。僕はそう信じて天国から見守ってるよ。
ずうっと、ずうっと。

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