当事者部門

「私たちの絆」 長岡 麻里子

(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています

私の家族は現在2年生と幼稚園年長の息子、それから私の両親の5人で生活しています。

長男が1年生だった2020年1月のことです。
年末から疲れやすくなり、顔色が白く、新学期が始まってすぐの習い事で先生に早めにかかりつけの小児科に診てもらうように言われ、その2日後に近くの小児科へ行き、事情を話し血液検査をしてもらうことに。

次の日に結果を聞きに行くと、白血球の値は普通だけど他の値が異常で、恐らく小児がん…白血病か再生不良性貧血でしょうと言われ小児総合病院への紹介状を書いてもらうことになりました。

連休が明けてからでいいからと言われたので連休明けに紹介状を持って、名前を聞いたことのあった大きな小児総合病院に足を踏み入れました。
その日は血液検査のみでしたが、改めて翌日に入院の準備をして来てほしいとのことで、
翌日入院準備をしてまた病院に。
骨髄検査を含めた様々な検査をして、その日の夜に小児急性リンパ性白血病との診断を受けました。
心臓を握り潰されるような感覚でしたが、はっきりとした病名がわかり安堵したような気持ちにもなりました。

その日から、長男の入院生活が始まりました。
まだ7才とはいえ初めての長期入院は長男にとっても不安で、次男のことは両親に頼んで夜間の付き添いをすることに決めました。

長男が入院していた病院は付き添いも出入りが24時間可能で、私は仕事をしていたので朝は病院から職場へ向かい、仕事が終わると病院に戻っていました。

幸いなことに職場が自宅から近く、仕事終わりに洗濯物などを預けたり次男との時間も取ったりして夕食時までに長男のところへ戻ったり、仕事のない日は自宅と病院を往復したり、ずっと病院にいることもありました。
次男も直接の面会は出来ないけれど、病棟の窓越しに長男と顔を会わせることが出来たので、週末になるといつも会いに来てくれました。

忙しない毎日でテレビを見る時間もあまりなかったのですが、新しいウイルスが出て、横浜のクルーズ船が大変なことになっているという事をニュースを見て知りました。
白血病の長男は免疫も下がるし感染症には気を付けなくてはならない、でもきっと今まで聞いたことのあるウイルスのようにすぐ収まるだろうと思っていました。

長男が入院してから1ヶ月以上が経ち、このウイルスが収まるどころか拡大しているということで次男の幼稚園も3月の頭に休園になりました。
病院も面会制限が出来て、楽しみにしていた兄弟の窓越しの面会も出来なくなってしまったり、2月から行き始めていた院内学級も都の要請を受けて3月から休校になってしまいました。

そのうち付き添いも完全に禁止になってしまい、1日夜の数時間の面会のみになってしまいました。
仕事も辞めざるを得なくなり辞めてしまいましたが、唯一大変な中でも良かったことは定められた面会の時間に毎日会いに行くことが出来ました。

こんな状況になってしまうとは全く想像もしておらず、毎晩病気の子供を置いて帰るということに胸が痛みました。
具合が悪い時は私が帰った後にに急変してしまわないか心配でしかたがなかったし、
長男は帰らないで欲しいと泣くこともありました。

また、殆どの時間が子供だけで過ごすことになるので自分から勉強をすることはなく、治療を乗り越えるためにと思って買ったゲームも親の目がないと際限なくやってしまっていたようです。
院内学級は3ヶ月休校だったためその期間の気晴らしがゲームだったようですが、退院した今もその影響は計り知れません。

長男は8月末に無事に退院することが出来ましたが、維持療法中です。
まだまだコロナウイルスとは付き合っていかなくてはなりません。
こんな状況で入院している子供たちに、親子の時間をなるべく多くとれるようにして欲しいと思います。

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