私は世界が残酷で悲しいことに溢れていると思いすぎるきらいがある。
「お子さんはお腹の中で亡くなる可能性が高い。難病です。生まれても呼吸もできない、障害重度でしょう。」と宣告され、中絶の申込書を産婦人科医に差し出された。
妊娠の喜びから絶望沼にダイブ。
全世界が息子を拒絶し、邪魔者扱いし、障害者は税金ドロボーだとアンチにネット上でボコボコにされる未来を勝手に想像した、、、
障害が分かっていたら生まれちゃだめなの?
どこまでも苦い思いが胸のあたりからジーンと広がっていく。
痛い。
お腹の子に伝わってしまったのかと怖くなった。
幾度となくハイリスク妊婦検診を受けた。
すくすくと育つ息子をエコーで確認する度、可愛い!命ある限り育てたい!と前向きな気持ちが不思議に強くなる。
周りに何と思われようと、わたしたち親は誕生を喜んであげたい。
障害児の育児に自信はないけれど、同じ疾患を持っている子供と共に生きる先輩家族がいるという事実だけで励まされる。
ちゃっかり正産期までお腹にいた息子は自然分娩で生まれる事となる。
息子がNICUで手厚い看護を受ける一方、あまり会うことができず、親として何も出来ない無力感や心配、悲観的な妄想からスイッチがバカになって涙が止まらない日々。
NICUからの着信を見ただけで、何かあったんじゃないかと鼓動が早くなったこと。
今では看護師さんとの笑い話だ。
息子はしっかりとした自発呼吸はあったものの気管切開をし、経管栄養でミルクを摂取する状態ではじめての退院をした。
在宅生活は慣れない医療的ケアに追われた。
3時間おきに経管栄養チューブを洗い、見守りながらミルクを注入し、てんかんの発作が止まらない息子を抱いたまま朝になる。
何がなんだかわからないまま、目の前の息子を生かす事が生活のすべてに置き換わった。
ゼロ交代の看護師と化した私は睡眠を取ることができず精神的にもろくなり、頭のなかで相反する考えが浮かぶようになる。
「息子を生かしたい、だけど私は死にたい。」
疲れても眠れない人間は往々にして、全身から送られるシグナルを取り違える。
助けてー!休みたい!
ただ心と身体がそう叫んでいるだけなのだ。
生活は過酷ではある、しかし息子は息をしているだけで可愛い。
現在の状態は寝たきり。
腸ろうで栄養は自動注入、人工呼吸器で呼吸をアシストされ、排泄や寝返りも人の手を借りる。
身体機能のアウトソーシング。
突き抜けてすべてに頼りきると言っても過言ではない。
全盲の息子の名前を呼ぶと、耳は聞こえていて顔をこちらに向ける。
嬉しくて何度も家族が代わる代わる呼びかける。
しつこくうざ絡みされ、迷惑そうな顔がたまらない。
目が開いてないのにまつ毛が長いとか、嫌なときの苦虫をかみ潰したような顔がニヒルで面白いとか、お風呂でため息つくのオッサンくさくて笑えるとか、そんな事を息子を真ん中に置いて話す時間が愛おしい。
リハビリで先生のふとした語りかけが、私に息子の新たな一面を気づかせたことがあった。
「世界を信頼できるんだね」
目が見えなかったり、自力で身体をコントロール出来ない子は、身体を触られると怖がって他人に身を任せられないこともある。
この子はどうやって世界への信頼を増やしてきたのだろう。
夜泣きしてだっこしてくれた看護師さんの腕中の温かさ。
命が消えかかりそうな夜を一緒に乗り越えてくれた先生の祈り。
在宅生活を支えながら子供として可愛がってくれるヘルパーさんの明るい声。
数え切れない専門職の方と文字通り泣いて笑って、息子は愛されて育ってきた。
コロナ禍。未知の感染症への不安、他者への不信感、気分が塞ぐ重い空気が生活を取り囲んだ。
対して、それ以前から日常が非日常的な私たちの生活は案外変わらないものだ。
感染症対策はもちろん、ずっと自粛生活のようなものだから。
むしろ、周りの感染対策の意識が上がったことで外出が少し安心になった。
呼吸器は延命のイメージが先行しがちだが、今回の事で「肺機能をサポートする」医療機器と認知されたのではと期待している。
知ることは見えなかった事柄が見えるようになることだ。
世界の一部しか知らずに孤独になったり、悲しんでいただけの絶望母ちゃんは、見えなくて喋れない息子に信頼を見せてもらった。
信じて頼る。
ひとりで生きている人なんかいない。
世界は信頼に溢れていてけっこう幸せだと思う。
(入院付き添いの病室で書きました。)