(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています
私は生まれつき軽度の脳性麻痺と知的障害があります。
幼い頃から首もすわるのも時間がかかったのと歩いたり何をするにも時間がかかっりました。母親が一からバスの乗り方、電車の乗り方も全部一から教えてくれました。
私は母親のおかげで一人旅が好きになって電車バスに乗って色々なところにもたくさん行くことが出来ました。
今となっては自分自身の足で歩いていた事は思いでとして残っています。
就労移行支援事業所も自分で探して見学して気に入って通う事にしました。
就労移行支援事業所では子どもの頃からローマ字を書く事パソコンでローマ字を打つことが出来なかったことが
パソコンでタイピング練習を続けていくうちにローマ字が打てるようになったのと軽作業のなかで指先で細かい作業が苦手な私に一から教えてくれて出来るようになりました
軽作業は楽しかったのと去年右膝の手術を受ける前までは就労移行支援事業所に通う事が出来ました。
自分自身のでもまさか手術を受けて脳性麻痺がでるとはおもいませんでした。
右足に脳性麻痺の症状が強よかったのと右膝の筋力が弱くなったから車椅子なんだよと療育センターの整形外科の主治医の先生から教えてもらいました。
私は車椅子生活が長くなるので就労移行支援事業所を辞める事にしました
私は一週間に一回障害者施設のリハビリに送迎車で行っていますそこでは無理せずに私の体調に合わせてリハビリをしてくれるのとわかりやすく教えてくれるので楽しく通っています。
私は去年から家は歩行器で歩いているのと外出の時は手動式車椅子を使っています
脳性麻痺の他に足の病気は大学病院で解りました。
自分でも少しは車椅子をこげますがすぐに母親に押してもらう事多いです
自分でも車椅子を長時間こげるように電動車椅子を作ってもらっています
でも電動車椅子は自分操作して使いますが誰が隣につくことが前提で許可でました
車椅子生活になってわかった事がありますそれは自分一人では何も出来ない
と言うこと必ず誰かのお世話になって生きると言う事自立するにも簡単な
ことではないだなということがわかりはじめました。
私が出掛ける時通院するときは母親と常に一緒に行動をしなければ
私が自分一人では車椅子も押せないため私は母親にいつもお世話になっていること
一週間に一回ヘルパーさんがきてくれて外につれて行ってくれます。
お店で買い物する時お店でお茶を飲む時店員さんが助けてくれます
電車又バスでは乗務員さんたちがスロープをだしてくれるおかげで乗れています。
父親が休みの日一緒に買い物に行ったりまた通院の時最寄り駅まで車で送り迎えしてくれたり私の車椅子を持つてくれます。
私の絆はみんなが私の為に働いてくれて助けてくれることだと思います。
私は外で体の不自由な人又困っている人がいたら母親に頼んで助けてあげてと言えるようになりました。
私の足の代わりは歩行車と車椅子ですそれがなければ私は歩く事又外にも出ることも出来ません私は体が不自由になってわかった事が三つありますお店に入る時は
お店の入り口が広くなければ入れないと言うことと出先で誰でもトイレが必要だと言うことスロープがないと電車バスに乗れないと言うことです。
私が乗り物に乗るときは必ず店員さんの迎が必要ですでも時たま連絡が伝わっていないときなどあったりしたときは私は必ず自分が利用した鉄道のお客さまセンターに電話をして伝います伝える事によって私と同じような人の役に立つと思うからです今回私がみんなから助けてもらっている中で誰かの役にたてないかなと
考えていたところ作文コンテストを見つけたので自分自身の体が不自由に
なった事を書こうと思った事と今回誰かの役に立ちたいと思いコンテストに応募しようと思いました。