当事者部門

「きょうだいの呼吸 二人だけの型 ふたりの絆 」まきさらのママ

「さらちゃんだよ、かわいいでしょ」

さらの兄(以下、兄)の保育園にバギーでお迎えに行くと、兄は必ず、クラスのお友達や先生にさらのことを紹介してくれます。

さらが生まれたのは3年前、ちょうど兄が3歳のころでした。

前日の36週の健診まで問題なく過ごし、出産の当日も、いつも通り保育園に兄を送り、勤務をしていたとこ、胎動の異変を感じ、緊急帝王切開。
母児間輸血症候群でした。

3歳になったばかりの兄は急に母が家に2週間いなくなり、パパと2人で過ごしてました。
ことばも発達もゆっくりだったので妹がうまれることはうまれる前から話していましたが、理解までしてるかはわかりませんでした。

さらはうまれた後、2ヶ月間NICUで過ごしました。さらと兄の対面時、兄から初めて出た言葉は

「かわいーね。」

その言葉に救われました。

と、同時にこれからのことを思うと、兄にもさらにも旦那にも申し訳なくて、誕生を心待ちにしていた両親にも申し訳なくて仕方なくなりました。

うまれる前日まで、もういつうまれても大丈夫、とうまれた後の楽しくて希望しかない生活の想像していなかった私、兄とさらがいつか手を繋いで歩く姿を見たかった私、色々な想いがこみ上げてきました。

うまれてすぐに、私達両親は医師から
“この先、さらちゃんは歩いたり、話したりできない可能性が高い”
と言われていました。

それから、見た目は普通の赤ちゃん、でも障害が残るのは明らか、と思いながらの育児は楽しいよりも、未来のことを思うと悲観的にしかなれずで、どうにか奇跡がおきてほしいと思いながら、リハビリやできる限りのことをしようと前向きな気持ちで励む一方だんだんと同じ月齢の子と差がつき現実を突きつけられることばかりとで毎日、子どもと向き合うことで必死でした。

“このまま赤ちゃんでいてくれたらいいのに、、、”

何度も何度も思いました。

身体はどんどん成長していく一方で、抱っこひもにいれることもできなくなり、誰が見ても、障害のある子とわかるさらを連れて外へ出ること、特に顔見知りが多い保育園へ、毎日ある兄のお迎えに行くことが辛くなりました。

周りの親も気を遣ってくれているのか、なんだか避けられている感じも受けました。

そんな時、冒頭の兄に何度も助けられました。

「さらちゃんだよ。ぼくのいもうと」

「さらちゃんは、ここからごはんたべてるんだ」

うまれてから一緒にいるから、
なんの偏見もない、ありのままを受け入れてくれてる、それが当たり前の兄からの言葉は周りを巻き込んでさらの周りにお友達を連れてきてくれました。

遠目で見ていたお友達も今では、少しずつですが、バギーに近寄ってきたり、話しかけてきてくれるようになりました。

耳の補聴器をさして、
「これはなに?」
素直に聞いてくれます。

「みんなの声がよく聞こえるようにマイクをつけてるんだよー」
すると、
「僕(私)の声、聞こえてるかな?」
と声をたくさんかけてくれます。

さらも心なしか笑顔で答えています。

やっぱり、嬉しいよね。お友達の声。

兄のおかげで、私も堂々とさらとバギーでお出かけできるようになりました。

あの時、夢見ていた手を繋いで2人歩く姿は見られなかったけど、兄がゆっくりさらのバギーを押してくれる、、、そんな優しいきょうだいの姿を今はみています。

最近、兄から

「さらちゃんはいつまで赤ちゃんなの?」
と聞かれました。

ドキっとしました。
今までは疑問と思わなかったことが、疑問に思うこと、これも兄の成長かと思います。
きっと兄もさらはまだ赤ちゃんだから、歩けないし、食べられないのかと思っていたのかもしれません。

「さらちゃんはさらちゃんだよ」

曖昧な返事をしてしまいました。

これから兄が大きくなるともっともっと色々な問題が出てくると思います。
その時にわかる言葉でちゃんと説明をしてあげなければならないと思います。

兄にさらのことを任せようとは
思ってません。
兄にはさら兄の人生があるから。
その時、その時の気持ちでさらと向き合って、時に一緒に遊んだり、怒ってくれたりしてもいいと思っています。

でも

きょうだいしかわからない呼吸、二人だけの型ふたりしかわからない絆でこれからも乗り越えてくれると私は信じています。

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