当事者部門

「私たちの絆」 陶守真貴子

(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています

私は医師で3年目の時に長男の妊娠を知りました。健診時には特に指摘されておらず、産後6か月ですぐに復帰しバリバリ働くことを当然と思って過ごしていました。

当時から、私はこの子の名前を蓮と決めていました。蓮には泥の中にありながら清く美しく咲くという花言葉があり、逆境の中でも強く育ってほしいという想いから命名しました。

夫婦共々不安と楽しみの中出産を控えていました。37週の健診時に胎動が少ないということから、緊急で出産となりました。産まれた蓮は黒い状態でうぶ声さえあげませんでした。

私たち夫婦が授かった長男は重度の低酸素性虚血性脳症で生まれてきました。当時集中治療室で入院している際医師からは「産まれた時から強い痙攣を認め、脳に重い障害をもっていると思われます。最悪の場合脳死の可能性もあります。」と言われたときはショックで、足が震えて、茫然自失でした。

出産した翌日から毎日絞った冷凍母乳を持って運ぶ通院生活が始まりました。浅黒く、小さな体には人工呼吸器、多種類の薬が投与されていました。

入院当初は手を握ることさえ許されず、保育器から生きようと戦っている我が子を何時間も眺めていました。その後無事在宅酸素を抱えたまま退院はできたものの、痙攣がおきたり、口から水分や食事の摂取ができないため何度も入退院を繰り返しました。

ある日、いっそのことマンションから飛び降りようとしたとき、蓮がにっこりと笑ってくれたことで彼が生きることを選択したんだ、このまま無駄にしてはいけないと思い、前をむこうと決心しました。

成長するにつれ、痙攣の頻度もふえ、なかなか口からも摂取できずに悩んでいた矢先に、次男を妊娠したことがわかりました。出産に嫌な思い出しかないため毎日不安な日々を過ごしましたが、無事に生まれてきてくれ胸をなでおろしました。次男は蓮の命を救っていただいた主治医の先生から名前をとりました。

もし、蓮が障害をもっていなければ普通の生活をし、私達夫婦そして蓮自身も苦しむことなく、楽に生活ができたのではないかと思います。またそう思えば、思うほど周りに対する羨望で自分自身が苦しみ、また蓮自身を否定していると思い母親として失格だと何度も涙を流しました。

今、私はまだ蓮の障害を受け入れず、もがいている最中です。ただ、蓮を通してみる世界は産んだ直後の絶望とは全く違うものです。彼を通してみる世界は小さな変化に喜び、本当の幸せを気づかせてもらう毎日です。

医療従事者、療育、市の担当者、彼らに支えられて今があると思っています。彼らにはただただ感謝しかありません。子供達がいることで豊かな気持ちになり、小さな毎日を過ごせています。

将来は介護を必要とする高齢者、障害児を対象とした地域に根付いた皮膚科を開業したいです。今までお世話になった人々に恩返ししたいのはもちろんのことです。

また自分自身が情報がなく、医療ケア児であることからなかなか受け入れ先がなく、相談するところもなかった経験から積極的に情報発信していきたいです。

ケアされる方だけではなく、ケアする方も含め少しでも孤立させないことが重要だと思っています。このような想いをもてたのは、蓮と次男のお蔭です。

彼らを通して幸せや人生の価値について再度見直すことができました。屈託のない子供達、そしてどんな時も一緒に温かく見守ってくれている夫に感謝しています。

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