当事者部門

「私たちの絆」 まゆ

(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています

私は酸素と経管栄養が必要な心疾患のある、医療的ケア児の母親です。内気で甘えん坊で怖がりででもとても優しくて思いやりのある五歳の男の子です。

ボール遊びと歌うことが大好きです。普段は恥ずかしがりやなので人前で歌を歌ことはほとんど無いのですがパパとママの前ではたくさん歌ってくれます。周りの人が落ち込んでいたりすると頭を撫でてくれます。

妊婦時代はとても順調でいつも検診では問題ないです、と言われていました。出産してからも元気な男の子ですよと。
しかし五時間後心雑音があるので搬送しますと言われて出産間もない私は病院に残り、泣いて出産を喜んだパパと誰よりも孫を楽しみにしていた私の両親が搬送先へ。たくさん検査をした様ですが翌日にはまた別の病院へ搬送されました。

そこで病名がわかりNICU生活が始まりました。毎日毎日車で往復2時間の距離を通い、運転の苦手な私は両親に連れて行ってもらったりパパと行ったりしていました。両親も仕事を持っていたにも関わらず孫の顔が見たくてほぼ毎日一緒にいってくれました。

退院直前は母子同室でたくさん手技の練習をしました。「この子は絶対大丈夫」とどこかで根拠のない自身がありました。夜中の注入はしんどくて泣きながらやっていたことを今でも覚えています。

私の父は「孫は宝だ」が口癖で「孫の結婚式に出るのが夢だ」と言っていたのですが今年五月に亡くなってしまいました。コロナの影響でお見舞いもままならず会いたい人にも会えず病院にかけつけた時には亡くなっていました。大きくなっても誰よりも愛していてくれた父の事を覚えていてくれたら嬉しいです。

NICUを卒業してお家での生活が始まった頃は慣れない経管栄養、薬の注入、チューブ交換をパパとママだけでやらなくてはならず夜中も経管のある赤ちゃん時代は睡眠時間もあまり多くはなく毎日があっという間でした。
私の両親もたくさん協力してくれて「注入を終わらせるから出掛けてきて良いよ」と言ってくれたり周りにもたくさん手助けしてくれる人がいました。

今は五歳ですが保育園に行けておらず医療型支援センターに週一回通っています。センター以外は買い物に出かけたり公園に出かけたりしますが、ほとんどの時間お家で過ごしています。唯一の支援センターも今はコロナの影響で時間が短縮されたりご飯が出なかったり、大勢のお友達と遊ぶ事が出来なくなっています。
もっと同じ年の子と過ごす時間を増やしてほしい、コロナの前と同じように過ごさせてあげたいと強く願います。

保育園と支援センターの両方に通っている子がたくさんいると言う話をよく聞きます。しかし私の住んでいる地域では医療的ケア児を見てくれる看護師さんのいる保育圓はないと言われ諦めていました。看護師さんを市で募集しても応募が無かったのが現状でした。しかしもう五歳なのだから集団生活やお友達と遊ぶことの楽しさを知ってもらいたいと強く思うようになりました。

何もしなければ何もはじまらない、と周りの協力もあり市長さんに手紙を書こうと言うことになりました。以前訪問看護ステーションの視察に来られて我が家にも来て頂き医療的ケア児がいることを知って頂きました。そして一緒に写真も撮らせて頂いたことがありました。

そのご縁もあり直接何かをしなければ動いては貰えないと思いました。少しづつですが良い方向に向かっていると思います。ただ待っているだけでは駄目なのだと色々な方の話を聞いて強く感じまた。

「物解りの良い親になってはいけない」と同じ医療的ケア児を持つお母さんに教えてもらったことがあります。

しかし保育園に通えたとして必ずしも楽しいと思ってもらえるのか、母親と普段離れることが殆どない子供が離れて楽しい時間を過ごすことが出来るのか。酸素やチューブがついていること理解してもらえるだろうかと色々な葛藤があります。しかし少しづつでも新しい環境に慣れて楽しい時間を過ごしてもらいたいです。

外へ出ることが大好きな我が子。なかなか親の勇気がなく家にいる事が多かったのですが最近はお買い物や公園に行くようにもなりました。しかしやはりこちらを二度見する人やじーっとみられることがあります。そんな子供もいると知って住みやすい街になったら良いと思います。

普通に生活していたら出会うことのない方達にも子供を通してたくさん出会うことが出来ました。これから先もまだまだたくさんの方にお会いできると思います。人と人との縁を大切にこれからも家族で色々なことを乗り越えていきたいです。

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