【きょうだい児だった私とたくさんのあなた】
私は、聞こえない弟と一緒に育ってきた聞こえるお姉ちゃんです。
3歳下の弟とはテレビゲームに夢中になり、取っ組み合いのケンカもしました。
私と弟の関係は「きょうだいは対等だぜ」、「障害なんて関係ないぜ」。
両親が弟を育てる苦労も喜びも近くでたくさん見てきました。
私と弟のことを大切に育ててくれた両親でしたが、時々、「お姉ちゃんは聞こえるから」、「弟は聞こえないから」と言ってしまうことがありました。
弟への心配や愛情はよくわかるけれど、それが弟の「障害」を大きくしてしまうような気がしました。
ここではあまり書きたくない周囲の言葉や視線は、上手にかわせればよかったなと思います。
ですが、宝物のような思い出もあります。
私を預かってくれた曾祖母や祖父母は私を孫として可愛がってくれました。
時々、弟の病院や療育に一緒に行くと、多くの方々が、私にも「お姉ちゃんだ!」と声をかけてくれました。
聴力検査でボタンを押すと電車が走るものがあったのですが、「お姉ちゃんもやる?」とやらせてもらえました。
こんなふうに、たくさんのあなたとの楽しかったこと、励みになったこと、いろいろと気付き、考えるきっかけになることがありました。
【大人になったきょうだい児の私とたくさんのあなた】
そんな私も、30代半ばになり、私と弟の子育てをしていた頃の両親と同じ年齢です。
大人になったきょうだい児として、子育て中の親の方々とお話させていただく機会がありますが、心から頭が下がる思いです。
反抗期が長かった私ですが、両親や周囲の大人の気持ちが今だからわかるようになった部分もあります。
また、結婚して夫と2人で暮らすようになり、実家での両親、私、弟の4人家族の時間はずっと続くような気がしていましたが、意外と短かったんだ、と感じています。
今、私は、きょうだいの会やサイトを同じ立場の有志と共同で立ち上げて、運営しています。
「きょうだい(英語でシブリング)のコトをきょうだいのコトバで語ろう」と立ち上げた「シブコト」というサイトでは、2020年10月末現在、1146人ものきょうだい児(者)がつながっています。
この文章は、私がこれまで出会ったたくさんのあなた、いつもそばで支えてくれているあなた、一度きりの出会いだけれど魂が触れ合うような会話をしたあなた、すれ違ってしまったままのあなた、これから出会うあなた、私が絆を感じているたくさんのあなたへの思いを込めてつづっています。
【私が伝えたいメッセージ】
多くのきょうだい児(者)、親の方々、専門家や支援者の方々にお会いしてきて、もちろん、ひとりひとり状況も経験も気持ちも違いますが、私が改めてお伝えしたいのはごく普遍的なメッセージです。
「兄・姉・弟・妹やひとりっ子、障害・病気の有無ではなく、ひとりの子ども、ひとりの人間として見てほしいな」
「きょうだいは互いにそれぞれ“自立”して“自分の道”を歩むことが、ともに歩むこと」
「自分の気持ちや意見、不安なことや知りたいことをいつでも何でも言える雰囲気があるといいな」
最近は、私の個人的な体験や考えを、ご自身のきょうだい、友人、職場の同僚との関係、親子関係などに置き換えて自分事として考えてくださる方々が増えていることに絆を感じています。
そのような方々にきっかけをできるだけ多く、広く届けることができたらと思います。
【今とこれからの私と弟とたくさんのあなた】
とはいえ、きょうだい、親子、家族だから言えることも、だからこそ言えないこともあります。
私が、大人になったきょうだい児として自分の家族の経験を話すことについては、弟も両親も「次世代の子どもや子育て中の親の方々の役に立つなら」と応援してくれています。
ですが、正直に告白すると、お互いに心は少し痛みます。
ただ、私が、弟や両親に謝るのも、開き直るのも、話すことをやめるのも、どれも違うような気がします。
これだという正解はなかなかありませんが、最後に弟からのメッセージを紹介させてください。
私があるテレビ番組に大人になったきょうだい児として取り上げていただいた時に、弟が自分の写真の代わりにくれたメッセージです。
「伝わらないことは怖い。だけど、姉弟の縁が切れることはもっと怖い。」
「きょうだいの善意は嬉しい。けど、どう返せばよいのか、悩む。」
「だから、時々、助けて、協力して、と言ってくれると安心(?)する。」
お互いもう30代の大人ですが、泣けてきました。
どんな時も、自分のことも、相手のことも、できるだけ大切にできる道を一緒に考え、選んでいきたいと心から思いました。弟とも、誰とでも。
たくさんのあなたとの絆にありがとうございますと今後もどうぞよろしくお願いしますを込めて。