当事者部門

「私たちの絆」 横田 慶子

息子は生まれるまでは元気にお腹の中で動いていました。
出産時にモニターが外れてしまったり、吸引分娩をしなかったりで酸素低下で新生児仮死で生まれました。

26歳の時の出産で、検診もなんの問題もなかったので元気に生まれてくると思っていましたが、すぐに近所の大病院に運ばれました。

誰からも「おめでとう」と言われず、希望していたカンガルーケアも出来ず、傍に赤ちゃんもおらず、母乳も全く出ない。

転院した病院に行くと、低温療法中なので冷たく全く動かない息子。
産んだ実感はあまり湧きませんでした。

人見知りの為NICUで友達も出来ず、周りのママ達は母乳が沢山出ている。
1人不安と申し訳なさで泣いていたこともありました。

その頃インターネットを通じて同時期に出産した同じ様なお子さんをもつママとお友達になり、お互い励まし合い1歩ずつ前に進みました。

呼吸器を使うことによる弊害などに悩んだ時は「呼吸器を使っているけど、目が悪い人が眼鏡をかけるように、呼吸器が苦手だから呼吸器を使うんだよ」と言われた時、心が軽くなりました。

その後も少しずつお友達が出来て在宅に向けて進みました。
退院後は抱っこすると窒息仕掛けたり、EDチューブが抜けたりと、1年間は緊張の連続でした。

2年目に入り、在宅生活が落ち着く反面、疲れが出てきた時に、原因不明の全身骨折と、区役所、訪問看護ステーション、主治医を交えたカンファレンスで震災時は黒トリアージと目の前で何度も繰り返され、どんなに頑張ってももう抱っこもできない、活動も制限されて、辛さのあまり息子を置いて逃げ出したい、死んだら社会が変わるのだろうか?と考えてしまう辛い1年でした。

3年目からは息子のケアもだいぶ落ち着いてきたのと、息子の活動に期待していないというスタンスに切り替えたら気持ちも落ち着いて来ました。

今は原因不明の窒息が多くなりハラハラする日々ですが、目標としていた小学校入学と、ディズニーランドに行くことを叶え、次の目標は家族でホテルに宿泊をするというのが出来ました。

今はその目標に向けて体調管理など頑張っていきます。

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