当事者部門

「私たちの絆」 〜コロナ時代の今、あなたに教えてもらったこと〜 たっくんパパ

太晴(たいせい)は生まれてからの4年3ヶ月を、神奈川県立こども医療センターのNICUで過ごしました。
胎児診断で重い二分脊椎症と診断され、生まれても産声をあげず、喜怒哀楽も無く、人工呼吸器管理に一生なるかもしれない、と医師から告げられました。
頭が真っ白になり、悲しくて、妻と二人で泣きました。

それでも太晴の生きるチカラを信じ、特に安全面を考慮し、年明けに帝王切開で手術をすることを決めました。
年末には、無事に生まれることを願って鶴岡八幡宮へ、妻と二人でお参りに行きました。
しかし、その日の夜に破水し、日が変わる少し前に、急いでこども医療センターへ向かいました。
すぐに手術が始まりましたが、医師からは再度、産声を挙げない可能性を伝えられました。
年末の誰もいない廊下で一人、無事に生まれることを、ただただ祈ったあの日のことを一生忘れることはないでしょう。
そして、太晴は元気に産声をあげてくれました。

NICUでは、泣くと呼吸を止めてしまうため、とても退院できるような状況ではありません。
時には、心臓マッサージが必要になるときも何度もありました。
泣かないように、寂しくならないように、昼は妻が、夜は自分が仕事帰りに病院へ行き、太晴が眠るまで一緒にいました。
太晴が寝るときは自分が抱っこをして眠ります。抱っこしたまま、自分も一緒に寝落ちすることもしばしばです。
面会終了時間である22時頃にベッドへ太晴を戻そうとすると、気づいて泣くことがあり、太晴が落ち着いて寝るまで抱っこを続けた記憶は、今でも思い出します。
時には寝ずに起きてしまい、看護師さんにバトンタッチして帰宅したこともあります。
しかし、翌日に様子を聞くと、太晴はしばらく起きていて、すぐに寝なかったと報告を聞くことも何度もありました。

そんな太晴は今、在宅で家族一緒に生活をしています。
5才の誕生日の前日に退院することができました。
医療的ケアが多いため、試行錯誤をしながらの生活です。人工呼吸器のため、退院当初は妻と自分が交代で夜はずっと起きていた時期もありました。
しかし、それでは親のほうが倒れてしまうため、現在は自分が夜は一緒に寝て、妻は自分の部屋で爆睡しています。

そのため、太晴は生まれてから病院にいるときも、在宅生活でも、ずっと寝るときは自分と一緒です。
そんな太晴に、「今日は誰と一緒に寝る?」と聞くと、必ず自分を指差してくれます。
妻を指すことは一度もありません(笑)

でも、それが太晴との絆を感じる、一番の瞬間です。
そして、その絆は、コロナで世の中がいかに変わったとしても、決して変わらないものだと信じています。

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