当事者部門

「私たちの絆」 元 久美子

(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています

花に恋と書いて「かれん」私には高校1年生になる一人娘がいます。
今は、全介助の寝たきりで人工呼吸器を24時間使用。意思疎通が難しい重度障害の医療的ケア児です。

産まれてから特に大きな病気をすることなく、元気に走り回りズボンよりもスカートが好きなのに、公園に行くと遊具よりも木登りをしてました。恐竜に興味があり、将来は「考古学者になりたい!」という活発な娘でした。

しかし、9年前…小学1年生の秋…突然、原因不明の急性脳症になり、まばたきも出来ず目は開いたまま耳も聞こえていない…反応もない脳死に近い状態とも言われました。
7歳まで、当たり前に過ごしていた日常から突然…突きつけられたありえない現実。私は、この事実を受け入れられず、パニックになり、すべてをシャットダウン。

何もかもが嫌になり、たくさんの管や医療機器に繋がれ、むくんで変わってしまった我が子を見て弱気になり、「楽になりたい、この場から消えてしまいたい…2人で楽になろうか…」とマイナスな方向に考えたりもしていました。
主治医の言うことも受け入れられず、「もっと何か方法があったのでは?」とか、先生の判断や看護師さんのちょっとした言動、行動までも許せなくなっていました。

それから、数カ月後…在宅介護生活へと移行しました。
自宅に娘を連れて帰れるのはとても嬉しい反面、不安は大きく押しつぶされそうでした。
病院でやってることを家でやる?
ちょっと世の中から、見捨てられたような、「あとは、親の責任で!」とさじをなげられてる気分てした。
毎日「明日も無事に過ごせるのかな…来週、来月、来年は来るのかな?」不安な日々が続きました。

1年を過ぎた頃から、言葉は交わせなくとも頑張る娘をみて、母として冷静になり、どん底まで落ちた気分はもう上がるほかありませんでした。それからは、大概のことはポジティブに考えるようになったのです。
毎日の医療的ケアにより、医療知識の全くなかった私が今では、娘の専属看護師のような感じです。

今、娘の行動や、好きなものは少し変化しているかもしれませんが、時折 声掛けに肩を揺らしたり、指先を動かしたり、首をかしげたりと、気配や足音で私にに反応するようになりました。YESかNOという明確な判断はできませんが、親子だから感じる感覚を娘の判断としてます。

嫌なときは、顔をそむけたり、肩を揺らす動きが止まりません。
まばたきもできずに、喋れない状態の寝たきりの娘にたくさんのことを教わります。
どんな状況でもまずは、受け入れること。あきらめない、人を許すこと、それができたときから、すべては動き出すということ。
今、出来ること。今しかできない事
たくさんの大切なことを身を持って教えてくれてる。これが娘との絆だと思います。

この新型コロナウィルスの自粛生活においても、娘は、スマートフォンの操作が苦手な、離れて住んでいる大好きなおばぁちゃんをも動かしました。これまで何度となく「テレビ電話をしよう!」との提案にも「難しいから…」と言っていたおばあちゃんがついに!孫の顔見たさに勉強して テレビ電話デビューしたのです!

娘が周りの人に与えるパワーや影響は、本当に不思議なスゴイものです。
突然、病気になり、寝たきりなってしまいましたが、
周りの人に環境に恵まれて、ラッキーな子だと思います。

とはいえ、私は正直…今でも同じ年代の子ども達を見ると…「もし、元気に成長していたら…」と考えてしまい、胸が苦しくなる事もあります。
それでも、「また前を向くぞ!」と気持ちを切り替える!そんな母にしてくれた娘を誇らしく、そして感謝している日々です。
ありがとう!花恋

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