当事者部門

「私たちの絆」 ひよこ

(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています

夫は重度の身体障害に加え心臓疾患も抱えているので日常生活の支援や医療の援助を受けています。

常に介護する私には心の余裕もなく同世代の夫婦が一緒に買い物や外食を楽しんでいる姿をただただ眩しく思っていました。

ある時、同じようにご主人の車椅子を押す近所の方から「いいですね。うちは会話をしたくてもそれができません。いつも楽しそうにご夫婦でおしゃべりされていて羨ましいです。」と声をかけていただきました。私は介護中心の生活になってから、周りの方々から「大変ね。」「頑張ってくださいね。」などの励ましの言葉をもらったことは沢山あっても「羨ましい」という声を掛けられたことはありませんでした。

件の奥様の何気ない言葉に私は、とても大切な日常に気づかされました。それまでは誰かと夫を比べ、「歩くことが出来ない。一人では入浴も出来ない。働くこともままならない」等、出来ないことばかりに目を向けていたのです。でも見方や考え方を変えれば「装具や電動車いすを使えば外出も可能だし見守りがあればシャワー浴はやれる。毎日は無理だけど週二回程度なら仕事もこなせる。」と前向きになりました。出来ない事を嘆くよりやれる事に目を向ける毎日になりました。

私の日常は夫のサポートすることが当たり前になっていますが、毎日、何気ない会話をしたり車椅子でゆっくり散歩をしたり好きな音楽を共に楽しむこともでき、共働きや忙しい夫婦には味わうことが難しいかもしれない夫婦共有の時間の贅沢をしています。そう思うと日常のすべてのひとときに愛おしさすら感じます。
先日、友人が長い介護生活に終止符を打ち、苦渋の決断で親を施設に送ったそうです。そんな彼女が「介護って大変だけど介護できるだけ幸せよ。それすらできなくなってしまうと切なさがこみ上げてくる。」と言っていました。確かに介護したくても医療面で困難であったり、介護する側の健康状態で気持ちはあっても現実不可能な時だってあるかもしれません。そう考えると、かけがえのない家族の存在も共に自宅で過ごせる時間もそして自分自身のある程度の健康も、実はとてもありがたいことだと思いました。

障害や病気と向き合うのは綺麗事では済まされず、又、教科書通りに進まないことも多々ありますが有限な命の中で些細な日常の幸せに感謝するのを忘れず、何かと比較し焦ったりせず、自分のやれることを自分流にこなし夫婦で現状を受容しながら、日々の重なり合いを大事にしていきたいです。人生先のことはわかりませんが精一杯、生き切り縁あって夫婦であり、家族であって「良かった」と思える関係でありたいです。

コロナウィルスの影響により、新しい生活様式が求められる時代になりました。夫には基礎疾患がありますので一層の注意をしなければなりません。私はただでさえ在宅時間が長いのに、増々家にいる時間は増えつつあり社会とのかかわりが薄くなってきましたがオンラインの受診やコミュニケーションも挑戦中です。時間の流れと共に変えなけばならない出来事もありますが、毎日を丁寧に過ごしたいと思います。
私はメカ音痴で物覚えも悪く、そのうえ短気な性格でパソコンは大の苦手ですがこんな時代になったので、使えた方が便利だと感じ始め、元エンジニアの夫に導いてもらいながら覚え始めています。夫婦で足りないところを補い合っていることを実感する今日この頃です。改めて支えているつもりの私が支えられていると教えられ、温厚な性格の夫の存在に感謝しています。

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