当事者部門

「「母」の決意」 小松崎 有美

悔しい。その一言だった。あれは息子が小学校入学のとき。

「体制が整っておりませんのでお子様をお預かりすることはできません」
学校側は胃ろうのある息子の受け入れを拒否した。私は真っ青になって頭を下げた。しかし隣にいる夫は「仕方ない。支援学校しかないだろ」と言って私をなだめた。

だが支援学校に切り替えると今度は別の問題が。それは吸引を必要する息子の場合スクールバスを利用できないことだった。

「ならばせめてバスに親も乗せてもらえませんか」

納得のいかない私は教育委員会の先生に泣きついた。だけどここでも私の声が聞き入れられることはなかった。

その帰り道、車椅子を押しながら私は考えた。支援学校までは車で一時間。スクールバスを利用できないということは自家用車での送迎を意味する。しかし定期的に吸引が必要な息子を乗せての運転は非常に危険。最悪、通学途中に痰詰まり、心停止のような事故にもなりかねない。万が一、親が運転できない児童はどうなるのか。通学を断念せざるを得ないということか。国は義務教育を受けさせる義務を怠っているではないか。考えれば考えるほどにこみ上げる怒り。そして溢れる涙。家に帰ると息子が熱心に漢字を勉強している。この前まではひらがなしか読めなかったのにもう漢字が読めるようになっていた。

「お母さん、これは『山』って読むんだよ。知ってた?」
あどけない表情。息子の瞳に映る私は目を潤ませた。
「なんでお母さん、泣いてるの?」
「えっ。こんなに成長してくれて嬉しいなって思ったの」
「そっか」

息子はまた漢字を覚え始めた。ずっとずっと楽しみにしていた小学校生活。はじめての教室。はじめての給食。はじめての……。そんな息子の「はじめて」が始まることなく終わろうとしている無念。なぜ余所の子ども達と同じ学校で、同じ勉強ができないのか。哀しいのは、子どもが障害を持っていることではなく、生き方の選択肢が限られる社会に対してだった。

翌週から私は自動車教習をスタートさせた。主人に有給休暇を取ってもらい、二週間の最短取得を目指した。そうするしかなかった。そうしないと入学はおろか、息子は学びの機会すら失ってしまう。焦りと不安、だがそれ以上に使命感のようなものが上回った。

路上教習は順調に進んだ。だが入学の準備と心の準備は足並みを揃えて進むわけではない。入学後は保護者の終日付き添いが必要とのこと。本当であれば息子には親以外に安心できる居場所を見つけて欲しかった。親はいずれ先に死ぬ。そうでなくても息子が親の付き添いを疎ましく感じる日が来るかもしれない。私はいてもたってもいられず、教習所のトイレでワンワン泣いた。その涙を学校関係者や息子には決して見せまいと思った。

そんな私を大きく変えてくれる出来事があった。ある日教習所から帰るといつものように息子が漢字を勉強していた。すでに二年生の単元で習う漢字を一生懸命読んでいる。

「あらあ、すごいね。難しい漢字がいっぱい読めるね」
私が覗き込むと息子が「ぼく、この漢字好き」と言った。見れば『毎』である。

「え?どうして?」
「だってこの字の中にお『母』さんがいるから!」

驚きと喜びで言葉がなかった。何だかまるで「毎日お母さんがいてうれしい」とでも言っているようにも見える。その笑顔を目に焼き付けておきたかったができなかった。

「ちょっとゴミ捨ててくる」
私は玄関を出ると、電柱の影で泣いた。嬉しくて、切なくて、でもありがたくて泣いた。もう『悔』しいばかりの母は辞める。これからは『毎』日笑っている母でいよう。そう思った。

あれから入学して四年が経つ。息子は毎日元気に学校へ通い、無欠席。私も毎日学校に付き添い、もちろん無欠席だ。ここ最近は医療ケア児に対する支援が増え、介護タクシーによる送迎や看護師による付添が可能な地域もある。残念ながらうちはその学区ではないものの、来年からは息子にも学習面のサポートをするアシスタントが配置されることになった。ひとがつながり、理解がつながり、笑顔がつながる。そんな暮らしの中で親も子も笑顔でいられる気がする。

「さあ、行くよー」
今日も私は笑顔でハンドルを握る。ゆっくり踏み込むアクセルの音は前に進む私たちへのエールみたいだった。

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