(注)応募時に無題だった作品は、作文コンテストのテーマである「私たちの絆」をタイトルとしています
僕の妹は産まれた時から心臓が悪かったけど、普通の元気な赤ちゃんと同じように産まれて10日くらいで退院して家に帰ることができました。
その時、僕は妹の病気の重大さなどわかりませんでした。僕は妹が家に来た時すごくうれしかったです。でも、親は妹の病気がどんなものか調べたりすることで忙しくすることが増えました。親にとっては初めての病気を持った子どもを育てることになって毎日毎日忙しくしていました。
でも、僕たち子どもはその苦労もわからず妹にふれあっていました。
生後4か月から鼻のチューブを使って栄養を注入していました。だいぶ動くようになり、少し激しい運動をするようになりました。
ある日、妹と遊んでいて鼻のチューブか抜けてしまいました。すぐさま病院へ行ってしまいました。そして、妹のチューブは元通りになりました。でも、僕は自分が妹にやってしまったことについてずっと責めていたし、悔やんでいました。妹が家に帰ってきて元気で笑顔でいたことがうれしかったし、ほっとしました。
この経験を通じて、自分は妹が危なくない遊びをしようと思ったし、妹を守っていかなきゃと感じました。
妹が4歳になり、鼻に入れていたチューブからお腹に穴をあけて胃ろうというチューブを入れることになりました。僕はとっても心配したし、失敗したらどうしよう。と思いながら妹のことを考えていました。手術は成功し、鼻のチューブからお腹の胃ろうに変わりました。母から「これからは少しくらい激しい遊びをしても大丈夫」と言われました。僕はこの時とってもうれしかったし、これからどんな遊びをしようと胸をふくらませていました。妹が家に帰ってきた次の日はたくさん遊びました。
次の年から妹は保育園に行くことになりました。僕も小学校に行くから、とうとう妹も同じようになるんだなぁ、と思いました。妹が初めて保育園に行った時は帰って来るまできんちょうしていたみたいでした。でも、友だちもできて楽しくいっていました。その様子から、病気がある人もみんなと同じように暮らしていけると分かりました。今は小学校1年生になり、なにごとにも一生懸命やっていて、ときどき心配なこともあるけど、みんなと同じように生活しています。
だから、この世の中に生きている全ての人がみんな平等に暮らせるようにするために、お互いを認め合うことができるように自分もできることを積極的にやっていきたいと思いました。