2018年1月、初めての子供を出産しました。妊娠中から、心臓病を疑われましたがはっきりとは断定できず、また、逆子で性別もわからないまま、帝王切開でうまれてきました。小さな色白のお猿さんのようなかわいい女の子でした。
実はこの子は産まれてきたことが奇跡でした。妊娠初期の頃、出血があり産婦人科へいくと、「今回は残念だけど」と流産の診断をうけました。その後、掻爬手術を受けましたが器具がこの子まで届かずに掻き出せず失敗。一週間、薬を使って外へ出してあげましょうと言われて薬を飲みました。その間出血があり「この中に、赤ちゃんがいるのかな、、、せっかくの命が流れちゃうのかな、、」とトイレの中で涙を流しました。
その後、一週間後の検診に行き奇跡がおこります。なんと妊娠が継続していたのです。パニックでした。嬉しさはもちろんありましたが、先生や私が殺しかけたのだと思うと、悔しさや苛立ち、不安、様々な気持ちがこみ上げました。その後、産院を、他の病院にうつし、とても親切な先生と出会えた為とても前向きに妊娠生活を過ごしました。
しかし娘はやはり病気を持って生まれてきました。気管がものすごく細く、肺動脈が気管を締め付けてるため呼吸が苦しいです。か細い声で泣きます。肺も片方がものすごく小さいためほとんど片方の肺で頑張っていました。その他にも病気がかさなっています。
でも、検査入院で知らされた時、私は怖さはありませんでした。だってこの子はきっとどんな危険な目にあっても生きたくて生きたくてしょうがないはずだから。意地でも私と夫の子として体中怪我だらけになりながらも産まれてきてくれたから。
あなたなら大丈夫。乗り越えられる。不安よりも前向きな気持ちでした。
娘の病名は「先天性気管狭窄」といい稀な病気です。肺の疾患もあるため手術は高度な技術が必要ですし、手術後の管理がとても重要でした。地元から約900キロ離れた病院での手術が決まりました。手術場所が決まってまもなく、娘が生後4ヶ月の頃、容態が急変。呼吸状態が危険な状態になりました。すぐに手術予定の900キロ先の病院へ搬送が決まりました。夕方でした。
しかしこの距離を気管挿管できない(気管が細いため人工呼吸器すら入らない)子をどう運ぶか。当時お世話になっていた地元の大学病院の、先生方が必死で方法を考えて下さりました。ドクターヘリより自衛隊のジェット機のほうがスピードも速く、気圧の軽減が出来ると言われた覚えがあります。自衛隊のジェット機を使うためには都道府県知事にお願いをして、知事から自衛隊へ、要請を出してもらいます。
その日の夜中3時ころまで先生が必死に連絡を取り続けてくれてやっと、「3時間後に出ます!」といわれたときの先生の必死な顔が忘れられません。
空を飛んでいる間に、命を落とすこともあり得ると説明を受けましたが、なんとか無事にたどり着きました。
そして今のお世話になっている病院の先生方が笑顔で出迎えてくれたのです。この病院は全国で一番といっていいほど特に集中治療は高レベルな病院です。
一人の命のために、この娘のために、どれだけの人がどれだけ必死に動いてくれたのだろう。諦めずにつないでくれた命にひたすら感謝し、新しい病院へ「これからお世話になります」と心の中で深々とお辞儀をしていました。これを機に私達家族は900キロの引っ越しをしました。
あれから約2年半。娘は今も入院中です。手術が成功し退院しましたが、肺が悪いために風邪を引くたびに入院します。
でもいつもの病院にいくと、落ち着くのです。安心できるのです。
小さなときから見てもらってるので先生や看護婦さんに「大きくなったね〜!」「はーい!がいえるの?」「かわいー!!」と褒めてもらえて私も娘もとっても嬉しいです。
もうすこしで娘は3歳。
本当ならば地元で、家族や友人に囲まれながら一緒に成長を見てほしかった。
本当ならば健康に産まれて、感染も気にせずにいろいろな場所の空気を、景色を、人を、たくさん感じさせてあげたい。
痛い思いなんてさせたくない。
苦しい思いなんてさせたくない。
けれど、今ある命は、この娘が自分で勝ちとってきた命。必死にしがみついてきた命。
そしてたくさんの人の、「助けたい」という思いがたっっっくさん込められた尊い命。
私はこの命と、助けてくれた全ての人を誇りにおもいます。
あなたの体には大きな消えない傷がある。
これからもみんなみたいにはお外で遊べなかったり好きなことできなかったりたくさんの制限があるかもしれない。
でもあなたなら大丈夫だよ。
あなたの体はたくさんのひとの愛情がつまってるんだよ。
いつかあなたが自分自身を「誇り」におもってくれる日がくることを願ってます。