もし我が子が生死の境にいたら、何をしてあげたいか…明日があるのなら、私は世界の美しさを見せてあげたいと思った。
先天性リンパ管形成障害で大量の胸水が貯まったまま産まれてきた娘のTは、すぐに挿管され、鎮静剤で眠ったまま人工呼吸器で生命を管理されていた。治療に進展のないまま三ヶ月たち、状態は日々悪化していった。
NICUから出ないまま、終わってほしくない。窓の外では、季節が巡り、あらゆる生物が隆盛と退廃をくり返し、命の躍動に満ちている。たとえ一日、一時でも外へ出て、この世界の美しさを感じとってほしい。子どもの頃の自分や二才上のお兄ちゃんが日々経験していた世界に対する新鮮な発見と驚きを知ってほしい。ただ切望していた。
あれから二年経って、呼吸もできなかったあの子は、新緑の中、精いっぱい兄の背中を追いかけていく。コロナの緊急事態宣言で保育園や児童館は閉まっていたから、三密を避けられる古墳の遺跡がある森林を散歩していた。古墳の上に立って、遠い遠い祖先を思う。疫病、天災、戦さ、戦争…あらゆる危機を乗り越え、命をつないできたしなやかで、したたかな強靭な人間の祖先達。何世代経ても、新緑の光に魅せられ、人を慈しみ、死を悼む観念は受けつがれるのだろうか。土に沈んだ犠牲の重さに痛みを感じながら、その悠久の生命力に思いを馳せる。
生命力…二年前、死の間際にいたTは、天才的な先生の手術と医療スタッフの手厚い支えで持ち直した。それでも、生死の微妙な均衡の上にいた。その平衡を生きる方へ傾けたのは、Tの生命力に他ならない。できるものなら代わってやりたいと、親でも安易に思えないほどの苦痛な治療に耐え抜き、TはついにNICUから出発した。
在宅医療が始まったが、体調は安定せず、入退院をくり返し、綱渡りの生活が続いた。本人はもちろん家族にとっても過酷な日々だった。それでもTは、人生を楽しんでいた。もう一生分の試練を経験したからか、泣いている時間がもったいないのか、貪欲なまでに世界を感知して、吸収し、楽しみを見つけ、前に進み続けた。
夏の暑さと湿気、若葉の香りを含んだ春風の中、二つの小さな背中が走っていく。その生の輝きに心打たれる。背中を追いかけながら、本当は背中を押されている。
小さなTが見せてくれた生の矜恃。たとえどんな世の中になったとしても、光が見えないなら太陽を描いて、闇が深ければ温もりを感じて、苦痛を伴えば種子を拓く力に変えるように、一歩ずつ前へ歩き続けよう。きっとこれから何度も、何度でもこの世界の美しさに感動する。この当たり前にある、ありふれた奇跡に…