私の1人娘は妊娠中から脳に水が溜まっている事と脳の形成異常を指摘されていました。その事もあり妊娠中に羊水検査をうけ染色体を調べてもらいましたが染色体に異常がなかった事から少し安堵していましたが。
しかし産まれた時から娘の体が酸性に傾いている事と乳酸の数値が高い事から難病の一種であるミトコンドリア病である可能性がある為皮膚を少し切る検査でミトコンドリア病の一種で難病のピルビン酸脱水酵素複合体欠損症と判明しました。
命の危険がある病気である事がわかり主治医から3分の2は1年以内だと言われショックを受け沢山涙を流しながらNICUに通っていました。
重すぎる病気、障害の事を受け入れられず娘を可愛いと思えない時期がありました。
それでも、家族・娘の医療関係者・ソーシャルワーカー・友人・職場の人達に支えられ励まされている内に娘の難病、障害を少しずつ受け入れられる様になり、娘の事が愛しくかけがえのない存在だと思える程になりました。
娘は病気の為、糖分を多く摂取すると体が酸性に傾く為ケトンフォーミュラという脂肪分を多く含んだ特殊ミルクと市販の粉ミルクを4対3の割合で哺乳瓶で飲ませていましたが、生後8ヶ月ぐらいからほとんどミルクを飲まなくなってしまい主治医から
「このままでは栄養が足りない。」
と言われ経鼻経管栄養を勧められました。
家族で話し合った後、主治医に経鼻経管栄養をお願いしました。
娘の経鼻経管栄養は医療的ケアの為、私は手技を覚える為、以前娘がお世話になった病院に入院させていただきそこで手技を学びました。
その後、娘の経鼻経管栄養の具合、体調などを診てもらう為訪問看護に入ってもらう事になりそこで初めて訪問看護師のKさんにお会いしました。
Kさんは、娘の事をとても可愛がってくれミトコンドリアは、希少難病で症例が少なく大変なのですがKさんはいつも娘のことを気にしてくれ親身になってくれました。
Kさんの訪問看護の時間に経鼻経管栄養の注入の姿勢、注入の時間、私の注入の手技一つ一つを丁寧にみてくれ、私のよくない事を指摘しアドバイスをくれるので娘の医療的ケアに対し凄く不安だった私ですがKさんのお陰で段々と自信を持てるようになってきました。
娘の鼻チューブが抜けてしまっても、連絡すると駆けつけて鼻チューブを入れてくださるので安心して娘を在宅で診る事ができました。
Kさんには本当感謝しかありません。
私は、最初娘の鼻チューブを入れる事が怖くて出来ず、ずっとKさんに入れてもらっていました。
それでも2週間に1度鼻チューブをKさんに交換してもらう時に私も鼻チューブを固定するテープを貼るのを手伝ったり、Kさんが娘に鼻チューブを入れるのを何回も見ているうちに少しずつ鼻チューブを入れる事に対する恐さが和らいでいき、そのお陰で2年前の3月に1ヶ月間リハビリテーションの病院で娘と母子入園させていただいた時に、自分で初めて鼻チューブを娘に入れてあげる事ができました。
娘との1ヶ月間の母子入園が終わってから、再びKさんに訪問看護に入ってもらいました。娘は、持病の為ビタミン剤を多数服用していますが、そのビタミンの中に酸味が強く酸っぱい薬があり、そのせいからかビタミン剤を服用後、ケトンを注入すると娘が強く吐きそうになったり、突き上げてきたりとトラブルがおき、その都度縦抱きしたり注入を中継したりしていました。
ある時Kさんが、「ケトン注入後にビタミン剤を服用させてみようか。」とアドバイスをくれ実際その方法を試すとあれほどトラブル続きだったケトンの注入が殆ど問題なく出来る様になり、その方法は娘が3歳と10ヶ月になった今でもやらせてもらっています。
娘自身も吐きそうになる事が殆どなくなったので喜んでいるはずです。
Kさんに出逢えてから、私自身も少しずつ変わる事が出来たと思います。娘を産んで1年過ぎても時々娘の難病と障害の事を考え、苦しみ落ち込む日がありました。
その時Kさんが「娘ちゃんは私を強くする為に産まれてきたんだよ。」と言ってくれましたが、当時の私はそのKさんの言葉を受け入れられませんでした。
でも娘の事を一つずつ出来る様になったり、又娘の困難に立ち向かっていく内にKさんの言っていた言葉の意味を理解できる様になりました。
Kさんがいてくれたからこそ、娘を在宅でみる事が出来たと思っています。娘は今訳あって医療型施設に入所していますが在宅で再びみられる様に準備しています。
その時又Kさんに訪問看護に入ってもらえる日を励みにこれからも一歩一歩進んで行きます。